彼らは商品を作るが、我々は住まいを創る。
             住宅展示場を見学して。

災害

今、全国で年間約、80万棟の新築工事が生まれています。
今、全国で約、800万棟の空き家、放置家屋があります。
今も増え続けています。
その800万棟の建て替え事業が出来れば10年間の
新築工事が確保が出来ます。

それが何故出来ないか?お金にならないからです。

街を創ると称して、造成のため広大な森林を切り崩し、
高フ丘陵が失われてしまいます。

山を切り開けば、当然保水力は無くなります。
丘陵の高剥ぎ取り、一面山砂にしてしまえば、当然洪水が起きます。

スーパー堤防を造り創り、ダムをいくら強固にしても
自然の怒り前では為す術の無いことは今回だけでなく同様の
災害で明白です。
ハードな経済政策では無く、ソフトな温暖化対策を強行する事が
必要な時に来ているのです。

時間はかかります。

でも、時間がありません。

    


祖父母が使用していた壊れた包丁ですが、
直ればお孫さんが使いたいとのこと、いい話です

.「直しましょ!」

先祖に鍛冶やさんが居るとのこと、良い刃物でした!


ページ「無垢材への想い」について!

床板の原板購入にあたり、わざわざ、遠方から1日かかりで
運送しなくても近くにも製材所はあり、山もあります。

しかし、林業の旧態依然の制度、体制、システムが災いし
我々には購入はできませんでした。
ただでさえ不振の林業なのにこの様です。
地産地消が地場産業に、地域活性化に悪いはずがない!

以前少し取引のあった長野木曽の山元に
連絡が付き今回の購入に至りました。
木曽檜材は何れ使いたい材料でした。
どんな材料が来るかは不安はありませんでした。
届いた原板は期待以上のもので、木曽独特の木肌
木心、色合い、薫りなど一目を置かざろうえません。
また、一等材とゆう安価な材料なのに木曽木挽きの
心意気か丁寧な木取りには頭が下がります。
有り難う御座いました。

私の知り得た山元は先代で、もう亡くなり代替したそうです。
子息は山を降り他の職業についていて、この仕事も自分の
代で終わるそうです。

また、購入の機会があればお互い同じ職業についている事を
願っています。

考えなくてよい家造りが出来るようになりました。
工期だけを考慮する家造りになりました。
楽しい、家造りではなくなりました。

「大工さん」が造った家を作り続けたい

「手作り感を出して下さい。」と言われても元々手作りしか出来ないんだ!

「人が長く住む家だから、大勢の人の手を借りて作る住まいが
良いんじゃ無いの?自然の力も借りてさ。内地材が余っているんだから。
少し前までそうしていたんじゃないの。
そんなの急いで作らなくても良いでしょ!

他社より安く工事することは出来ます。
でも長続きしないね。
「値段で勝負」の業者はすぐ居なくなる。
「儲けるだけ儲けて」残るのは雑な仕事だけ。

ハウスメ−カ−の跡にはペンペン草も生えない。


10年ほど前に施工した、スレート瓦の軒先の欠陥。
クレーム申請も施主自身で太陽光発電器を設置
したため保証の対象外とのハウスメーカーの返事
だそうです。  何か同業者として悲しくなります。

築、18年です。今までメンテナンス作業無し
内部変更無し、家族構成の変更あり。
当工務店がお世話になりました。

これが「住まい」の在り方です。
某、ハウスメ−カの半ば強制的な
定期的なメンテナンスはありません。

あるハウスメ−カの売り文句です。「地震の揺れによる倒壊はゼロ」
今時の家で、地震の揺れによる倒壊なんて考えられない。
売り文句が無くなってしまったのか?

昨今の建築文化を退化させているのは
他ならぬハウスメーカだ!

昔、デパートでカブト虫を販売しているのに驚いた。
子供達ちもそれが当たり前のようにデパートに急いだ。
今、量販店で家を売っている。
当然のように、家を買いに行っている。

確かに、今時の家は古くならない。
屋根材、外壁材の改良によりいつまでも美麗です。
住人だけが歳を重ねていくが住まいは年齢を重ねない。

だから、今時の家は住んでいて疲れる。


煤竹で茶杓と筒を作ってみました。共木です。
竹は古い民家の茅葺き屋根を解体したときにいただきました。
築、150年程だそうです。

これが、日本の文化であれば、文化とは閑かで、
悲しいほど静寂で哀れに見えます。

今日の日本文化は豪華絢爛で騒がしく軽薄に見えて。
仕方がありません。
150年前の日々の生活が浸みてきます。



以前、買い求めていた松の板物です。長期間乾燥させ
絶乾状態になりましたが、無垢材独特の歪みも激しく出てしまいました。

歪み、狂いを直すには機械加工は出来ません。
手加工しかないのです。


むら取り後、木取り加工まで保存しておきます。
これ程の、手間暇かけてもいつ世るか分からない。
でも、いつ世に出ても恥じない技術、と文化は継ぐつもりです。
でないと、松板に申し訳ない。

  


今時の家は、丈夫な家だけです。
地震に弱い家など何処にもありません。
それでも、耐震性を求めるから
値段の高い家が出来るのです。

0.5ミリの精度の丈夫な家造りが、売り文句のハウスメーカですが
松の梁は、3.6bで約、6ミリの伸縮が有ります。
加工精度の基準が解りません。

あなた方の造る家が木の家ならば、紙でできた家も
木の家です。無垢材の家だけが木の家と言えます。
無垢の家は、あなた方には出来ません。
出来るのは、町場の小さな工務店だけです。

ハウスメーカーの地球に優しい家づくりだそうですが
新建材だらけの建物で、どれだけ自然を痛めているのか、
地球の悲鳴が聞けないか?

 
以前の建物は、建物の為に出来ていて、住人の為に出来ていない。
住人は、うまく建物と共存しているだけ。
だから、建物も、人も健康でした。

『鬼をも殺す』根気仕事

大工
「設計図の上に、家は建たない。
土の上に立てる物だ!」

大工
「我々の創った家は、どんなに壊れても元通りに直せます。
机の上で物造りを始めるから、壊れたら手も足も出ないいんだ。」

「瓦万年、手入れ毎年と言われます」
今の人は、自分の手入れは熱心だが、家は使い放題です。

今の家は、屋根から朽ちていくから、手直しが出来ません。
昔の家は、土台から朽ちていくので、手直しが出来るのです。


「木を育む(はぐくむ)人、木を観る(み)人、木を伐る人、木を刻(きざむ)人、
木に想いをよせて生きる人」。少し前まで、このサイクルが自然に延々と行われ
て来たのですが?

今日、古い大工の規矩書を見ていたら。頁の隅に「無理偏に拳骨(げんこつ)
と書いて、兄弟子と読む」と、落書きされていました。
達筆ですが、妙に滲んでいました。
昭和初期の和紙製の糸綴りの本でした。

  

今の家は、軒の出が全く無く、霧除けもない。
霧雨でも窓は開けることが出来ない。
小さな雨でも、家全体が濡れてしまう。
人間であれば、雨の度に風邪をひてしまう。

家も風邪をひいていると思います。

夏でも同じ事、日陰もない炎天下で
立ち続けて居るような物です。

軒の出がないと、窓はすぐ汚れます。
外壁に、苔が発生します。

今の家の軒出が無い理由は屋根の坪数が
少なくて済むからです。
今の家に霧除けの無い理由は、工期と単価の問題です。

今の家に軒出が無い、霧除けが無い理由は要するに
単価の問題だけです。

家が長持ちするわけがない

昔の大工なんて、新建材を前にしては「からっきしだらしがないものさ」
使える道具が無いもんで手も足も出ないんだ。

今時の大工なんて、電気がないと「からっきしだらしがないもんさ」
機械が回らないと、手も足も出ないんだ。

若い夫婦にリフォウームを依頼されましたが、
床の色がなかなか決まらず、工事が遅れてしまいました。
奥さんに理由を聞いたところ、旦那さんは、始発で帰宅し、
仮眠と食事をし、出社してしまうので、

相談の時間が無いとのこと。

この、炎天下の現場では、鉄製の工具は素手で触ることはできません。
火傷をしてしまいます。
しかし、木製の道具は全く心配ありません。
断熱効果はこの辺から考慮すべきではありませんか?
「研究者の皆さん?」

 釘の話

和釘は錆びてしまいます。
洋釘はステンレスやメッキで錆びません。
でも、使われている建物は、和釘の方が長生きです。

「植える木の育ちを読まなければ、庭は造れない」
「そこに置く、石もやがて育ちます」


こんな職人さんも、たくさん見聞きしてきました。











巨木に黙々と大鋸引きをする若い職人さんの後ろで
親方が鋸の音を聞いているのでしょうね。
文化を継承させてきた「徒弟制度」が垣間見えます。
親方も、若い職人さんも、そんなにがんばることなく続けて欲しいと思います。




  

ある石工の言葉、「石は硬く重たい、しかし、扱いは豆腐のように

職人の建てた家なら直せるけれど
素人の建てた家は、直せない。 だから、今の家は直せない。

「十年もやりゃ、どんな不器用な子供でも、一人前の職人にできるさ」
「でも、その子の生活は悲惨だよ!今時の、職人の生活なんてそんなものさ!」

「名人、一人居たってしょうがない。若い人、百人居る方が
重要なんだ!」 ある名人の言葉。


「職人が職人の自分の子供に伝えたいこと?
そんなもん、あるはずがない”」

多くの施主さんに教えられ、子飼い同然に育てられた町場の職人です。
人様の前を歩こうとは思いません。
でも、今、人様の後ろ姿が見えていないのです。

新人「うちの親方は何でも知っている。」

親方「そんなことはネ-ヨ。
    ただ、お前より長生きしているだけだ。
    俺を越えるには、俺より長生きしないとな。
    体を大切にしな!」

左官屋さんの手道具、
壁ちりを決める毛引きと呼ばれています。
使い込み、四十年過ぎだそうです。
堅い樫の木が指の形にへこんでいました。

毎年、定位置に飾られていた銘木屋さんの暦が
今年から飾れません。壁の色が日焼けで変わっています。
廃業だそうです。
三十年余りの取引がありました。

「継続は力なり」とゆう言葉が死語になってしっまた今、
私たちにも責任があるのでしょうが、寂しい話ですね。

倒産ではなく、廃業なのが、せめてもの救いとか。
それも、侘びしい話ですね。

齢(よわい)を幾つ重ねた職人でも、見て習う仕事が有る限り
いつまでも「見習い」です。

若い間に、高度の教育より、良質の教育。
これは、若い職人さんにも言えることです。
高度な技術より、良質な技術を

親方に昨日、「白」と聞いた事が、今日は、「黒」でもそれは、親方が正しいのです。
明日、赤になっても、青、黄、になっても、親方が正しいのです。
やがて、全てを覚えていく道なのです


「堅い仕事と、柔い仕事の違い」新人?意味不明
「パソコンのハードとソフトの違い」親方?、意味不明

親方「私のやっていることを覚えないと、私より先に出れないよ。」
 「私と同じ事をやっていては、私以上にはなれないよ。」

「予算のない家より、希望の無い家づくりはお断りしています」

手垢の残せる仕事」

住宅の価格が、どこまでが適正価格の線引きかは、個人差によりますが低い価格のみで、住宅を求めている顧客が居る限り、
手抜き工事は終わらない。

徒弟制度での技術の継承は、かなり効率の悪い物です。
今の子は、取扱説明書を見ながらよくこなします。
でも、取扱説明書の間違いを直せません。

時折、新種の木材が輸入されてきます。
この木材が、どこの国の、どこの山で生まれ、
どこの森で育ったのか知るよしもありません。
結果、自国の山が荒れ、森が消えていくのです。


   

鉋の刃を砥石で研いだ後、
刃が切れるかどうかは、自分の指先を傷つけ研磨の状態を確認するのです。

今でも、少しは残る徒弟制度の職人の世界で
弟子に無償の投資ができなくなりました。
いい職人が、育つ土壌が枯れてしまっているのです。

同じ手間賃でも、生き甲斐を感じる仕事と、
空しさが残る仕事があります。それが、職人の生き様です。
空しい仕事が増えてきています。

なんと、生きにくい職人の時代です。

「教えてくれ」と言われても、体で覚えたこと
教えようがねーよな!

大工道具でも、木で出来ているものは
”自分で作れ”

「木のことは、木に聞け」

「刃のことは、刃に聞け」

木で出来ている物の依頼は、なんでも断るな”

お陰様で、ハウスメーカーの仕事は、お世話にならずここまでこられました。
日々、変化のある作業で緊張した時間が過ごせます。

一本々、一枚々の材木の素性、個性を読みながら
適材適所に配置する作業は、まさに無垢材との一期一会の緊迫した時間に他ありません。
職人冥利に尽きます。

「地震をエネルギーに変える家が出来たんだとよ!」
「発電所に作ればいいんじゃない」
???
 「よくわかんね”」

「三歩目は走れ」と、怒鳴られた私たちの修業時代
今の時代、そんなことを言いつけると、四歩目には居なくなります。
職人にとって、手際、段取りをたたき込まれる重要な教えですが、
それに気づいたのは、私も十年も経ってからでした。

職人が家を建てるなんて、奢(おごる)ってはいけないよ。
家を建てるのは、施主さんだと、肝に銘じておきな


ある親方の重みの言葉。


数少なくなった左官工事の仕事、
ハウスメーカーの営利至上主義によって
今、消えようとしている

親方から叩き込まれた仕事の数々、
幾つ、後生に伝えられるか!

何れは消えてしまう、大工道具です。

「女房貸しても、砥石は貸すな!」

「怪我と弁当は手前持ち!」





この鉋屑を出すのに幾年もかかり、何度、泣いたことか!


職人一里四方



ハウスメーカーの評判は展示場とかパンフレットでは解りませんよ!
 建設中の職人に聴いて下さい。


我々の仕事は 「カタログに無い家、」 宣伝の仕様がありません



昔、「木は曲組、人は心組み」 今、「木はボルト組、人は機械組




新建材ができて、三.四十年、そのハウスメーカーが造る百年住宅?。





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